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盛岡地方裁判所 昭和30年(行)3号 判決 1956年10月15日

原告 坂井久四郎 外一一名

被告 岩手県知事 外二名

主文

被告岩手県に対する、原告佐藤田二郎の請求中、被告岩手県知事が昭和二十九年三月三十一日なした同年岩手県条例第十九号「一般職の職員の給与に関する条例の臨時特例に関する条例」の公布処分中第七条に関する部分の無効確認を求める部分、及びその余の原告ら十一名の請求中、被告同知事が右同日なした同年岩手県条例第二十号「市町村立学校職員の給与等に関する条例の臨時特例に関する条例」の公布処分中第七条に関する部分の無効確認を求める部分はいずれもこれを棄却する。

被告岩手県に対する、原告佐藤田二郎の、前記岩手県条例第十九号第七条の無効確認を求める部分及びその余の原告ら十一名の、前記岩手県条例第二十号中第七条の無効確認を求める部分はいずれもこれを棄却する。

原告ら十二名の被告岩手県に対するそれぞれ別表第三記載の金員及びこれに対する昭和三十年三月二十五日から完済まで年五分の割合による金員の支払を求める請求はいずれもこれを棄却する。

被告岩手県知事に対する、原告佐藤田二郎の、前記岩手県条例第十九号の公布処分中第七条に関する部分の取消を求める予備的訴、及びその余の原告ら十一名の、前記岩手県条例第二十号の公布処分中第七条に関する部分の取消を求める予備的訴はいずれもこれを却下する。

被告岩手県知事に対する、原告佐藤田二郎の、前記岩手県条例第十九号中第七条の取消を求める予備的訴及びその余の原告ら十一名の、前記岩手県条例第二十号中第七条の取消を求める予備的訴はいずれもこれを却下する。

原告佐々木卓夫、新山義視、豊巻勲、佐藤田二郎の被告岩手県人事委員会に対する、同原告らの別表第三記載の各教育委員会に対してなした昇給措置をとるべき旨の請求を拒否した右同各教育委員会の処分の取消を求める予備的訴はいずれもこれを却下する。前記原告佐々木卓夫、新山義視、豊巻勲、佐藤田二郎の被告岩手県人事委員会に対するその余の予備的請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告ら十二名の負担とする。

事実

理由

第一、被告らの、原告ら主張(一)(二)の各(1) の第一次の請求に関する本案前の答弁に対する判断。

一、本件各臨時特例条例第七条は行政訴訟の対象となり得る行政分であるか。

1、地方公共団体はその事務に関し固有の法を定立する権能を有する。これはいわゆる自治立法であり、広義の行政立法ではあるが、国の行政権による立法と異り、地方公共団体という一種の部分社会の法としての性格を有し、地方公共団体の地位及び権能によつて限界づけられる。地方公共団体の条例及び規則がこれである。ところで条例は地方公共団体の議会が議決し長がこれを公布するのであつて、一般に条例は原則として行政訴訟の対象となり得る行政処分とはなし得ない。

何故なれば、条例は直接には当該地方公共団体の住民に対し権利を制限し又は義務を課するという効果を生せず、通常右条例に基いて更に行政処分が行われて初めて現実の効果が生ずるからである。この場合には、条例によつてはいまだ当然に法律上の効果を生じていないから、直接条例に対して行政訴訟を提起し得ないのは当然であり、右条例に基いて行政処分が行われて初めて訴権が生ずるのである。

もとより裁判所は具体的な事件についてその事件の審理の前提としてのみ法令の効力ないし解釈をなすのであつて、抽象的に法令自体の効力ないし解釈を問題とすることを得ない。これらの法令の効力又はその解釈は、その法令が直接に、又はその法令に基く行政処分によつて間接に違法に人民の権利利益を侵害した場合に、それに対する訴訟において初めて裁判上の問題とされ得るのであつて、具体的な事件における法の適用を離れて、直接に法令自体の効力又は解釈を争う訴は許されない。それは当事者間の具体的な権利義務に関する訴訟、すなわち「法律上の争訟」に該当しないからである。

2、しかし条例の制定のような立法行為であつても、それが具体的な処分的意味を持つ場合がある。すなわち条例そのものの施行によつて当然に直接特定の者の具体的権利義務に法律上の効果を生じ、これに基いて更に行政処分の行われることを要しないような特別の場合においては、何ら通常の行政処分と異なるところがないから、条例に対し直接に行政訴訟を提起し得るものと解すべきである。若しそうでないとすればこの場合には条例が違法であり、権利の侵害があるにもかかわらず、全く行政訴訟を提起する途が存しないこととなり、その不当であることはいうまでもない。

3、本件において、成立に争いのない甲第二号証の一、二によれば、本件各臨時特例条例はその各第八条において「給与等条例(第二十号の場合。第十九号の場合は給与条例)施行後において新たに教育職員となつた者についてはこの条例は適用しない。」と定め、その適用対象者を給与等条例及び給与条例施行以前の原告らを含む教職員のみに限定していることは明らかであり、また、本件各特別条例第七条は「給与等条例第二条第二項に規定する教職員については、それぞれの教育職員について左の各号の一に該当する場合には同号に規定する期間を経過した場合でなければ、昇給させることができない。但し給与等条例第十二条第三項に該当するものを除く。一、この条例施行後初めて昇給させる場合には、給与等条例第十二条第一項各号に規定する期間に六月を加えた期間。二、前号の規定の適用を受けた次に昇給させる場合には、給与等条例第十二条第一項各号に規定する期間。三、前号の規定の適用を受けた次に昇給させる場合には、給与等条例第十二条第一項各号に規定する期間。三、六月を加えた期間。前項各号に規定する期間内に昇格させた場合においては、昇格したことによりそれぞれ同号に規定する期間を経適して昇給したものとする。」(第二十号の場合。第十九号の場合も大体同旨)と規定し、これによれば、原告ら特定の者は右各条例の施行により当然に六ヵ月づつ二回に亘り昇給を延伸されるという直接具体的な効果を生じ、更に任命権者の各所轄教育委員会の昇給停止という特別の処分を要しないものといわなければならない。だとすれば本件各臨時特例条例第七条は条例の形式をとつていても、実質は行政処分と異るところがないのであり、その施行により権利若しくは法律上の利益を侵害されたと主張する場合これに対し行政訴訟を提起し得べきものといわなければならない。

この点の被告らの主張は失当である。

二、本件各臨時特例条例の公布行為は行政訴訟の対象となり得る行政処分であるか。

1、地方自治法第十六条は、地方公共団体の長が、議会において議決した条例を公布する手続について規定している。一体条例を含めた法令の公布行為の性質について考えてみるのに、法令の公布は意思表示的行政行為ではなく、一定の精神作用の発現について専ら法規の定めるととろによりその効果を生ずる準法律行為的行政行為であり、議会の議決によりその内容の確定した法を外部に表示する行為である。すなわちその効力未発動の状態にある法を、権威的に周知せしめてその効力を発動せしめるための行為である。従つて一般法令の公布は、議会等立法機関の内容を確定した法の成立要件であると同時にその効力発生要件ではあるが、内容の確定行為に対する附加的補充的のものにすぎないから、通常これのみを行政訴訟の対象とする実益がないものといわなければならない。

2、ところが条例の公布は一般法令の公布と大いに異なるものがある。地方自治法第百七十六条は「議会における条例の制定について異議があるときは、長はこの法律に特定の定があるものを除く外その送付を受けた日から十日以内に理由を示してこれを再議に付することができる。(一項)前項の規定による議会議決が再議に付された議決と同じ議決であるときはその議決は確定する。(二項)議会の議決……が権限を超え又は法令若しくは会議規則に違反すると認めるときは、長は理由を示してこれを再議に付させなければならない。(四項)前項の規定による議会の議決がなお権限を超え又は法令若しくは会議規則に違反すると認めるときは、長は議会を被告として裁判所に出訴することができる。(五項)」と規定し、条例は議会の議決によつて一応内容が確定するが、これに対し長が再議を求める方法いわゆる長の拒否権の制度が認められているのである。議会と長の両者の抑制均衡により条例による住民の権利利益の侵害を防止しようとする建前の下に規定されているのである。

従つて一般法令の公布の場合における公布機関は一の表示機関にすぎないのであり何ら法令の内容に関与するものではないのであるが条例の公布の場合の長は、これと異りその外に条例の内容に関し議会と共に評価判断をなし、住民の権益を保障する使命を付託されているのであり、長が議会の議決した条例に異議を述べず再議に付させないで公布したときは、右公布行為自体一見一般法令の公布行為と何ら異なることのない外形をしているのではあるが、右行為には一般法令の公布行為の性質を有すると同時に、条例に関する議会の評価判断を不当ならずとし、或は違法ならずとする長の評価判断をも包含するものといわなければならない、一般法令の公布の場合と同日に断ずることはできないのであり、それ自体独立して行政訴訟の対象となり得る性質を有するものといわなければならない。

この点の被告らの主張もまた失当である。

三、原告ら主張の昇給請求権は給与制度の反射的利益にすぎず、権利ないし法律上の利益ではなく、従つて原告らにおいて本件各臨時特例条例の制定施行により侵害されるものがないから、本件訴を提起する利益がないかどうか。

1、行政訴訟は訴権を有する者のみがこれを提起し得る。行政訴訟において訴権を有する者は、行政処分により自己の権利を毀損された者であるが、この権利の範囲については、行政訴訟の目的からいつて必ずしもこれを厳格に解すべきではなく、単なる感情的、道義的利益又は法規の反射的利益にすぎない場合を除き、公権たると私権たるを問わず広く自由権をも含み、またそれが権利とまではいい得なくとも、法律上保護さるべき利益ならば、これを害されたことを理由として行政訴訟を提起し得るものと解すべきである。

2、しからば本件において、原告らはその主張するように侵害されたとする権利又は法律上の保護に値する利益を有しているであろうか。

イ 地方公務員法は地方公共団体に近代的公務員制度を確立することを目的としたものであり、その意味では国家公務員法と根本的狙を等しくするものである。もつとも地方公務員制度においては、地方自治の本旨の実現に資することを窮極の目的とされる以上、地方公共団体の自主性を確保し、その多様性に適合せしめるという要請から、自ら国家公務員制度と異るものがあるとはいえ、近代的公務員制度の諸原則、例えば公務の平等公開、成績本位の原則、職員の政治的中立性、職員の身分保障、職階制、利益の保護に関する基準、専門的中立的人事行政機関の設置等の原則は地方公務員法にも取り入れられている。

ロ ところで公務員が労働法上労働者に該当するが、従つて労働者に対し憲法上認められている地位が公務員にも与えられるが、特に争議権の存否を繞つて議論の分れるところである。勤労者とは労務を提供した対価として生活手段たる賃金を得る者であつて、公務員といえどもこの意味では勤労者といわなければならないのであり、従つて憲法第二十八条にいう「勤労者」には本来公務員を含まないものであるとは解することができない。しかしながら公務員の労働関係は、一般私企業における労働者のように労使対抗の関係ではなくして、公務員の労働関係の相手方すなわち実質的使用者は国民であり、その関係は国民全体に対する奉仕の関係である。そこに一般労働者が憲法により与えられた諸権利は、公務員の労働関係の特殊性から自ら制約を受けるのは当然である。公務員が、その労働の対価としての給与及び経済的利益の向上について、一般労働者がなし得ると同じように団体交渉権及び争議権を手段として形式上の使用者たる政府又は地方公共団体に対し要求することができないのもこのためである。

ハ このように本来勤労者であり、たとえ憲法上保障せらるべき争議権等の行使を禁止されているとはいえ公務員に対しては、形式上の使用者たる国又は地方公共団体は、その当然の義務として公務員の生存権の保障を考慮すべきであり、その福祉及び利益の保護については適切な措置を講ずべきであつて、ここに身分保障特に給与の根本基準の確立及び国においては人事院の、地方公共団体にあつては人事委員会又は公平委員会の給与勧告の制度が設けられているのである。

ニ しかして地方公務員法は国家公務員法に対応して給与その他の勤務条件の根本基準、給与に関する条例の規定事項及び給料額の決定、給料表に関する人事委員会の報告及び勧告について詳細に規定しているが、同法第二十五条は昇給の基準に関する事項は、給与に関する条例中に必ず規定すべきことを定めている。しかして右条例は、国家公務員法第六十五条に定める給与準則に対応するものであるから、右条例で昇給に関する基準を規定するに当つては、国家公務員法における昇給基準と同様勤続期間、勤務能率その他勤務に関する諸要件を考慮して定められるべきであることはいうまでもない。

このように地方公務員法は国家公務員法と同様、給与制度の重要不可欠な一要素としての昇給に関し詳細な規定を設けた所以のものは、もとより任命権者の権限に属する昇給措置の基準を定め、公平と統一性を保障するにあること勿論であるが、一方職員の側からみれば、設定基準に該当する諸要件を具備するに至れば昇給措置を受け得るとの期待を抱くのは当然であり、事実職員の生活規模の拡大膨脹に伴い、かかる昇給による給与の増大なくしては生計の維持従つて職務の遂行は不可能である点に鑑み、職員の昇給に関する利益は現行給与制度によつて保障されている利益であり、法律上の保護に値する利益であると解するのが相当である。殊に前段において説明したように、公務員の争議権行使の禁止、団体交渉権の制限により、公務員が給与その他の経済条件の向上を図り得る唯一の途を、法的に拘束力のない人事委員会又は公平委員会の勧告にしかこれを求め得ないとすれば、昇給措置を受け得る利益は昇給請求権自体又は期待権とまではいい得ないにしても相当程度高く評価されなければならないのであつて、これを単なる給与制度に伴う反射的利益又は事実上の利益とは解せられない。もとより昇給せしめるかどうかは結局任命権者の判断に俟つべきであるが、任命権者は所要の資料に基いて判断した結果、基準該当者であると認定した場合は昇給せしめる義務を有するのであり、何ら特段の事由がないのに給与制度に反して恣意的に昇給措置をとることを差し控えることは許されないのであり、かかる任命権者の不作為自体によつて昇給に関する利益が侵害されたとすれば、右侵害に対してはこれを行政訴訟の対象として司法裁判所に出訴しこれが救済を求めることができるものといわなければならない。

3、本件において前記給与等条例第十二条給与条例第十四条はいずれも「職員が現に受けている昇給を受けるに至つたときから左に掲げる期間を良好な成績で勤務したときは、その者の属する職場の級における給料の幅の中において、直近上位の号給に昇給させることができる。一、現に受ける給料月額と直近上位の給料月額との差額が七百円未満である者にあつては六月以上。二、差額が七百円以上千五百円未満である者にあつては九月以上。三、差額が千五百円以上である者にあつては十二月以上。」と定め前者にあつてはその第四項において「前三項に規定する昇給は、その昇給が予算の範囲内において行われるために県教育委員会が指示する基準によらなければならない」と定め、後者にあつては、その第四項において、「前三項に規定する昇給は予算の範囲内で行わなければならない」と規定していることは甲第一号証の一、二によつて明かである。原告らは、本訴において、右各条例の定めるところにより昇給措置を受けることを期待し得る地位にあつたところ、その昇給に関して有する利益は法律上保護するに値する利益であり、これを本件各臨時特例条例の制定施行により侵害されたと主張するのであるから、原告らは本件訴を提起する利益があるものといわなければならない。

この点の被告らの主張もまた失当である。

第二、よつて原告ら主張(一)(二)の各(1) の第一次の請求に関する本案の判断。

原告らはそれぞれ別表第一記載の岩手県内小、中、高等学校に勤務する教育公務員であり、原告佐藤田二郎は給与条例のその余の原告ら十一名は給与等条例の適用を受けるものであり、それぞれ別表第一記載の日時にその記載の級号の給料を受けていたこと、原告ら主張の日時被告岩手県知事が岩手県議会の制定にかかる原告ら主張の各臨時特例条例を公布し、右各条例第七条の内容が原告ら主張のとおりであること、右議会が右各条例を制定するに際し、被告知事の独自の提案によつたのであり、岩手県教育委員会の原案の送付がなかつたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

よつて本件各臨時特例条例第七条に原告ら主張のような違法の点が存するかどうかにつき判断する。

一、まず旧教育委員会法第六十一条以下の規定等に違反していないか。

1、成立に争いのない甲第三号証の一、二、乙第一、三、四、五、十号証、証人鈴木力、小川仁一、石橋寿男、砂子由次郎、山中吾郎(第一、二回)、斎藤茂、四宮弘、赤堀正雄の各証言を綜合すれば次のような事実を認めることができる。

そもそも被告岩手県知事が本件各臨時特例条例案を昭和二十九年三月二十四日第二十一回岩手県議会に提案ずるに至つた事情は次のとおりである。

イ 当時の教職員の給与実情

(1)  公立学校の教育公務員の給与体系は、大学、高等学校、小中学校の三段階に分けたいわゆる三本建制度といわれるものであるが、岩手県における教育公務員の給与制度は、国立学校の教育公務員の給与の種類及びその額を基準として、昭和二十八年十二月二十五日第十九回岩手県議会において現行の一般的制度として確立され、昭和二十九年一月一日から施行されたのであり、これが給与等条例及び給与条例である。

(2)  ところでいわゆる三本建制度が確立されるまでの岩手県における教職員の給与制度は、それまで官吏であつた公立学校の教職員が昭和二十四年一月十二日公布の教育公務員特例法により地方公務員となり、その給与については「国立学校の教育公務員の例による」こととされた。その後昭和二十五年十二月十三日公布の地方公務員法の施行及び教育公務員特例法の一部改正に伴い、昭和二十七年五月十五日公布の公立学校職員の給与に関する条例の施行となつたが、結局なお従前の例によること、すなわち国立学校の教育公務員の例によることとされていた。従つて前記給与等条例及び給与条例施行前における初任給基準も国の例によることとされていたのであるが、岩手県においては、その特殊事情殊に僻地勤務者を優遇するためと無資格教員の多いところから資質の優秀な有資格教員を採用する意味合において国の例よりも一律二号高の初任給で任用される取扱であり、この一律二号高初任給制度がいわゆる三本建制度確立直前における実態であつた。

(3)  それで前記三本建給与制度すなわち給与等条例及び給与条例により昭和二十九年一月一日以降新たに採用された者の初任給を二号引下げて国の基準どおりとすることとしたため、同日以前に採用された者との均衡を失することとなるため、これが対象を如何にすべきかは県財政の節減の問題と絡んで昭和二十八年十二月第十九回岩手県議会における論議の焦点となつた。

(4)  もつとも実際は全教職員について一律二号高であつたわけではなく、県下約一万三千人の教職員中ある者は事実国の基準より二号高ではあつたが、その余の者はむしろ国の基準以下か若しくは同等であり、その間の凹凸が烈しく極めて複雑な構成であつた。それは数回に及ぶベース・アップと採用基準の度々にわたる改訂に原因するのであつて、かかる不安定な給与の現状を早急に改め、給与体系を整備確立することがかねて被告岩手県を初め関係当事者の懸案であつたところ、三本建給与制度を実施するに当り具体的現実の問題として取り上げられるに至つたのである。

ロ 当時の県財政事情

(1)  しかも被告岩手県は昭和二十七年度以降毎年繰上充用を行い赤字の累積に苦慮しており、その額は昭和二十七年度において五億四千万円、昭和二十八年は六億円に達していた状態であつて、財政の再建こそすべてに優先して断行しなければならない緊急の課題であつた。それで昭和二十九年度予算編成においては、一般職員の人件費一割天引、旅費特例条例の制定による大幅減額を始め、事務費、備品費等消費的経費の極度の削減を図り、更に奨励的補助事業も国庫補助を伴うもの六項目、国庫補助を伴わないもの三十一項目を廃止するの余儀なきに至つた。

(2)  しかして被告岩手県の昭和二十八年度予算約百億円中、教育費は約四十億で、教職員の給与として計上される額は約二十一億であり、義務教育半額国庫負担法による負担金及び教育費の特定財源として使用し得る平衡交付金並びに授業料収入等を差引いても教育費総額として約四億円の不足を来す実情にあり、しかも県財政総額中に占める教育費の比率は年々累増し、そのうち人件費は八割を占める有様であつたので、被告県としては、財政節減の実を挙げるには、国の基準を上廻ると考えられる教職員の給与体系を改めることが必要であり、かつ早急に実施しなければならないと考えていたやさき、昭和二十八年十二月七日自治庁が財政実地調査の結果、被告岩手県知事に対し、被告岩手県の消費的経費の増加が著しく、特に入件費中教職員給与費については他府県に比較して相当上廻つている故検討すべき旨勧告するに及び、教職員の給与問題が烈しい論議の的となつたのである。

ハ 当時の被告県と県教育委員会との折衝事情

このように教職員の給与制度改訂の問題は少くとも第十九回県議会以降は、県議会は勿論教育委員会等関係者の間では早急に解決しなければならない重大問題となつた。

(1)  県の態度

爾来被告知事等県執行部はこれが解決方法に関し県教育委員会との間に折衝を重ねたが、結局その方法としては、教職員の承諾を得た上で俸給を二号切り下げるか、又は昇給を或期間停止すること、若しこれについて承諾を得られない場合は条例を制定しこれによつて俸給を切り下げるか又は昇給を停止するかそのいずれかによる外ないとの結論に達したが、俸給を切り下げることは既得権の侵害になるおそれがあるので、臨時特例条例の制定により今後の昇給を六カ月づつ二回にわたつて延伸する方法が、給与体系を整備する意味においてもまた教職員に与える犠牲の少い点においても最も妥当な方法であり、これによつて年間数千万円の財政節減が可能であると見込み、なお右の方法を実施した場合生ずるであろう個別具体的な不合理については別途に救済措置を講ずることとし、かくてこれを被告知事の最終案として県教育委員会に示し、この線に副つた同委員会の自主的原案の作成送付を要望した。

(2)  県教育委員会の態度

同委員会としては教職員の給与の実態は必ずしも被告知事等執行部が考えるように一律二号高ではなく、かつ県財政の窮乏を理由に教職員の定期昇給を事実上一律に停止することは権利の剥奪であり、教育行政上重大な影響を及ぼすのみならず、かかる措置によつて節減を予想される予算というものは極く僅少なもので県財政上実質的にさしたる影響がないとの見解から、県執行部の右申入に反対の態度をとつたが、さればといつて、県教育委員会としては、これを如何に措置すべきかについて具体案を決定しなかつた。

(3)  県と県教育委員会との折衝

しかして被告知事としては県教育委員会の立場を重んじ自主的解決等の打出されることを期待して昭和二十九年三月第二十一回県議会の開会当初においてはこれに関する条例の提案を控えたのであつたが、その後被告知事としては、給与制度の改訂によつて財源の節減を図ることを、前述した給与制度の整備確立と合せ所期していたので、新会計年度の始まる前に是非条例制定の運びに至らしめたいと考え、同年三月十七日県教育委員会に対し、正式に書面をもつて昇給延伸の条例の原案を送付されたい旨申し入れた。しかし県教育委員会としてはもともとこのような方法による給与制度の改訂には反対であつたし、県下一万三千人の教職員の生活権にかかわる重大な問題だけに、県下の地方教育委員会の意見を徴したり、資料を慎重検討した上でなければ直ちに結論を得ることは不可能であるとの理由で更に一ヵ月の猶予を求めたところ、被告知事は従来からの折衝過程に徴し県教育委員会から原案送付を受けることは到底不可能であり、徒らに日時を空費し第二十一回県議会において成立不能に終るおそれがあると判断し、県教育委員会からの原案送付がないまま同年三月二十四日県議会に本件各臨時特例条例案として提案し、翌二十五日議決され、同月三十一日公布された。

以上の事実を認めることができる。

また証人笹川運平の証言により真正に成立したものと認められる甲第十七号証、成立に争いのない甲第十八号証の一ないし五、第十九号証の一、二、第二十、二十一号証の各一、二、三、証人笹川運平、山中吾郎(第二回)、小川仁一、石橋寿男の各証言によれば、本件各臨時特例条例制定当時岩手県における教職員の給与水準は他府県に比較して決して高くはなく、また財政事情にしても赤字で苦んでいたのは全国的傾向で独り岩手県のみではなく、一般財源に対する人件費の膨脹とて同様であつたこと、本件各臨時特例条例施行の結果生じた不合理を是正するために、昭和三十年二月千六百十五人の給与の引上に要する予算として約六百万円を計上したが、実際はかかる措置を講じなければならない人員は更に多数に上ること、一方右各臨時特例条例施行によつて節減できる金額は当初県当局の見込んだものより少額であつたこと、他方右各条例の適用を受ける教職員にとつては、給与、退職手当、恩給の総計において相当多額の経済的損失を蒙る結果となること、以上の事実も認め難くもないのであり、当時の実情に関し更に確定を要する点もないでもないが、右いずれにしても当時そのような給与制度の実態並びに財政事情の下にあつたのであり、右認定を左右するに足る証拠がないのであるから、このような事態の下においては、被告知事としては、これが打開のため何らかの方途を講じなければならないと決意したのは当然であり、またその方法として条例制定の方法を選択したこと自体政治的又は行政的見地からする当否は別として、そのこと自体何ら違法でないことはいうまでもない。

2、そこで問題は、右各特例条例制定の当否について被告知事と県教育委員会との間に前示認定のような意見の対立等の事情があり、その結果旧教育委員会法第六十三条の三に定める原案送付の手続を経ないまま提案議決されたわけであるがへかかる所要の手続を踏まなかつたことにより右各条例は違法となるかどうかについて考えてみる。

イ 旧教育委員会法第六十一条は、教育委員会は教育事務に関するものの議案の原案を、地方公共団体の長に送付すべきものと定めており、この中には教職員の給与に関する条例の制定又は改廃も含まれることはいうまでもない。しかして同法第六十三条の三によれば、地方公共団体の長が第六十一条に規定する事項に関する議案を当該地方公共団体の議会に提出するに当つては、教育委員会の原案の送付を待つべきものとし「これを常例とする」旨定めている。これによれば、長が教育事務に関する議案を議会に提出するに当つては、常に必ずしも教育委員会からの原案の送付を待つことを要せず、場合によつては、長独自の議案を提出することが認められていることが窺われる。

右法条自体の文字解釈からしても、「常例とする」とある場合は、通常の場合当該規定の定めるところにより教育要員会の原案の送付を待つべきであるが、絶対に教育委員会の原案の送付を待たなければならないという趣旨ではなく、その例によらないことも許されることを当然に予想しているものと解される。「しなければならない」という規定の仕方をとれば、法的拘束力を有し、これに違反する場合は直ちに法律上の義務違反となるが、「常例とする」場合は、時にはこれに従わなかつたとしても直ちに法律上の義務違反にならないのである。

ロ さればといつて、右教育委員会法第六十三条の三の規定は単なる訓示的規定ではない。特段の事由のない限り原則として教育委員会の原案送付を待つた上で議案を提出することを建前としているのであり、地方公共団体の長が議案の提案権を有するからといつて特段の事由もないのに、恣意的に独自の提案をなし得る趣旨に解すべきではない。

何となれば、同法第一条に明定するとおり教育委員会制度の趣旨目的、すなわち、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接に責任を負い、公正な民意を反映し、地方の実情に即した教育行政を行うためには、教育委員会の或る程度の独立性を保障し、教育事務に関する条例等の制定改廃に当つてはその意見を可及的に尊重しなければならないのであり、かかる観点から旧教育委員会法第六十一条以下に教育委員会の原案送付権を規定し、更に第六十三条の三において、地方公共団体の長の議案提出に一個の制約を設け、原則として教育委員会からの原案送付を前提とすることとしたのである。

ハ しかしながら一方地方自治法上、地方公共団体の長は、地方公共団体を統轄しこれを代表する権限者として議会の議決を経べき事件についてその議案を提出する権限を有し、条例の発案権を有することはいうまでもない。しかして教育等の事務自体は地方公共団体の長の職権に属しないのであるが、これらの事務に関する条例についての発案権もなお長に保留されているのである。旧教育委員会法第六十一条以下の規定は地方公共団体の長の発案権を絶対的に排除するものではなく、長は時に教育委員会からの原案の送付がない場合でも発案することを妨げるものではない。たゞしこの場合、前記の教育委員会制度の趣旨目的に照らし、可及的に原案の送付を待つべきであり、また必要と認めるときは送付の勧告をなす等の措置に出るのが妥当であるが、教育委員会の原案送付を発案の絶対的要件とするのではない。

ニ 本件において、前示認定のとおり、被告知事は県教育委員会の自主性を尊重し原案の作成送付を度々要望していたのであり、一方同委員会としては、昭和二十八年十二月第十九回県議会以来問題となつていた前示給与問題につき所要の資料を充分に調査検討し得る時間的余裕はなかつたとはいえないのであるから、教育事務に関し第一次的責任を負担する者としてむしろ積極的に解決策を打ち出すのが当然であるとも考えられるのに、終に教育委員会としての具体案を決定しなかつたという事情の下において、被告知事が独自の発案権に基き条例案を作成し、これを議会に提案するに至つたのは教育委員会制度上結局是認せらるべきところであり、何らその制定手続に原告ら主張のような旧教育委員会法条違背の瑕疵あるものということができない。

この点の原告らの主張は失当である。

3、なお旧教育委員会法第六十一条の規定等に違反しないとしても、原告らの昇給に関する利益が法律上の保護に値する利益だとすれば、本件各臨時特例条例の施行により原告らの右利益を侵害し違法となるのではないか。

イ 原告ら教職員の昇給に関する利益が法律上の保護に値する利益であること及び原告ら教職員の地位は国民全体の奉仕者としてのものであり、私企業の労務者の場合と異なるもののあることは前段説明のとおりである。

ロ 私企業の労務者の給料その他の労務条件は雇傭契約の際の労使間の契約により決定し、その後のこれが変更も労使間の協定によるべきことは当然であるが、公務員の任用の場合は、その給料その他の労務条件は私企業の労務者の場合と異り国又は地方公共団体において公務員制度に基き一方的に決定するところであり、その後の変更もまた前同様国又は地方公共団体の一方的に決定するところである。

地方公務員法第十四条に「地方公共団体はこの法律に基いて定められた給与、勤務時間、その他の勤務条件が社会一般の情勢に適応するように随時適当に措置を講じなければならない。」と規定し、また同法第二十六条に「人事委員会は毎年少くとも一回給料表が適当であるかどうかについて地方公共団体の議会及び長に同時に報告するものとする。給与を決定する諸条件の変化により給料表に定める給料額を増減することが適当であると認めるときは、あわせて適当な勧告をすることができる。」と規定し、国家公務員法第二十八条第一項、第六十七条もこれに対応する規定をしている。これらの各規定はいずれも前述のように公務員の給料その他の勤務条件が私企業の労務者のそれと異るもののあることを前提とするものであり、右各規定によつても社会情勢の変化により公務員の給料その他の勤務条件が国又は地方公共団体の一方的決定により有利に変動されることのあるのは勿論、時には不利益に変更されることもあり得ることを看取するに十分である。

ハ 公務員の昇給に関する利益が法律上の保護に値する利益であることと、時に国又は地方公共団体において適法に公務員に不利益に昇給期間を変更し得ることとは両立しないものではない。国又は地方公共団体において公務員制度の明文又はその精神に違反して変更したときに初めて利益侵害を惹起するにすぎない。前示認定事情の下において前示認定の程度の昇給期間の延伸をしても現行公務員制度を破る違法の処置ということはできない。

二、次に地方公務員法第五条第二項の規定に違反していないか。

岩手県議会が本件臨時特例条例第二十号案について被告岩手県人事委員会の意見を聞かず、本件臨時特例条例第十九号案については意見を聞いたが、反対意見であつたにかかわらずこれを議決したことは被告らの認めるところである。

しかしながら被告岩手県人事委員会は被告岩手県の一般職の職員及び県立高等学校教職員等の人事行政の運営に関する勧告及びその職員に関する条例の制定又は改廃につき岩手県議会及び被告知事に意見を申し出る権限を有するけれども、市町村立学校教職員の給与等についてはかかる権限を有しないから、岩手県議会が市町村立学校教職員の給与に関する条例の特例を定めた本件臨時特例条例第二十号案について被告人事委員会の意見を聞かなかつたのはもとより当然である。

次に第十九号案については被告人事委員会は意見を申し出る権限があり、また一方県議会は被告人事委員会の意見を聞かなければならないが(地方公務員法第五条、第七条)、この意見なるものは、勧告と同様可及的に尊重せらるべきものであるにとどまり、法的拘束性を有しないから、被告人事委員会が本件臨時特例条例第十九号の制定を好ましいものではないとして反対意見を申し出たとしても、県議会はこれに従うことなく議決したとしても差支えないのであり、もとより違法ではない。

この点の原告らの主張もまた失当である。

しからば本件各臨時特例条例第七条は何ら違法ではない。

よつて原告ら主張一、二の各1の本件臨時特例第十九号及び第二十号の違法であることを前提とする被告岩手県に対する原告佐藤田二郎の右条例第十九号の公布処分中第七条に関する部分及び右条例中第七条の無効確認を求める請求並びにその余の原告ら十一名の右条例第二十号の公布処分中第七条に関する部分及び右条例中第七条の無効確認を求める請求はいずれもその理由がないからこれを棄却する。

第三、次に原告ら主張一、二の各2の予備的訴に対する判断

本件各臨時特例条例がいずれも昭和二十九年三月三十一日被告岩手県知事が岩手県報をもつて公布したことは当事者間に争いがない。

右各条例の公布処分中第七条に関する部分及び右各条例中第七条の取消を求める訴の出訴期間の起算日は右各条例の公布せられた右昭和二十九年三月三十一日であるといわなければならない。けだし、県報をもつて一般に周知の手段をとつた以上原告らは特段の事由のない限り当然その頃右各条例の公布の事実を知つたものと推認すべきところ、これを左右するに足る特段の事由の存在を窺わしめるに足る何らの証拠がないからである。

しかして本訴の提起が昭和三十年三月二十四日であることは本件記録によつて明らかであるから原告らの右予備的訴は法定の出訴期間の経過後の提起にかかるものといわなければならない。この点の原告らの主張は失当である。従つて右予備的訴はいずれも不適法であるからこれを却下する。

第四、原告佐々木卓夫、新山義視、豊巻勲及び佐藤田二郎主張(三)の訴に対する判断。

一、まず右(三)の(1) の訴について

右(三)の(1) の訴は被告岩手県人事委員会に対する別表第三記載の各教育委員会のなした昇給措置の拒否処分の取消を求める訴である。被告らは右拒否処分事実を争い、昇給の請求に応ずることのできない旨の事実の通知にすぎないと主張するが失当である。

しかし被告人事委員会は右各教育委員会の上級監督官庁ではなく、昇給措置をなし得べき機関でもないから、同被告を被告として右各教育委員会の拒否処分の取消を求める訴は被告適格を欠くものといわなければならない。同原告らの右(1) の訴はいずれも不適法であるからこれを却下する。

二、次に右(三)の(2) の訴について

本件各臨時特例条例に原告ら主張のような瑕疵のないこと前示認定のとおりであるから、別表第三記載の各教育委員会及び被告岩手県人事委員会が右各条例の執行力を肯定し石各条例に従つて行政処置をするのは当然である。

従つて右各条例の存する以上、右各教育委員会が右原告らの昇給措置請求を拒否したのは正当であり、何ら不利益処分をしたものということができないから、被告人事委員会が、右拒否処分を不利益処分としてなした右原告らの審査請求を理由なきものとして却下したのもまた正当であり、何ら非議すべき瑕疵を認め得ない。右瑕疵の存在を前提とする右原告らのこの点の請求はいずれもその理由がないからこれを棄却する。

第五、原告ら主張(四)の被告岩手県に対する金員の支払を求める訴に対する判断。

本件各臨時特例条例に原告ら主張の瑕疵のないこと前示認定のとおりである。右各条例の存する以上原告らの昇給期間の延伸の行政処置を受けるのは当然である。原告ら主張のようなこの点の原因事実を認めるに足る証拠がない。原告らのこの点の本訴請求はいずれもその理由がないからこれを棄却する。

よつて原告らの各訴については前段説明のように棄却又は却下すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十三条第一項本文により主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 梅村義治 佐藤幸太郎)

別表<省略>

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